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九州のやきもの〜薩摩焼

2016/5/10

九州のやきもの〜薩摩焼


国の伝統工芸品にも指定されている九州鹿児島のやきもの「薩摩焼」は、豊臣秀吉の時代の文禄・慶長の役で、朝鮮出兵した薩摩藩17代藩主島津義弘が80人以上の朝鮮人陶工を連れ帰ったことに始まり、薩摩藩の保護の下に発展してきました。

薩摩藩内の各地で開窯した薩摩焼は、朝鮮陶工達の個性の違いや地理的条件などの違いで、それぞれの地で多様な展開をみせました。


薩摩焼の古窯跡は50余箇所にあるとされ、主に肥前系の平佐系・西餅田系、朝鮮系の竪野系・苗代川系・龍門司系の5系統に分けられます。


竪野系…1601年頃、陶工・金海が藩窯として鹿児島県の東北・帖佐の宇都に開窯。火計手など白薩摩の元になるものが焼かれ、藩の保護を受け、献上・贈答用の茶碗や茶入など、古帖佐と呼ばれる茶陶を手がけた。

苗代川系…1599年頃、串木野の島平の上陸した朝鮮陶工らが、東方丘陵地に串木野窯を築いたのが始まり。最初の薩摩焼は黒もん日用雑器や火計手の茶碗で、のちに苗代川に場所を変え、白土が発見されると、白もんが焼かれた。白もんは錦手(色絵)、金襴手へと発展した。

龍門司系…1608年頃、陶工・芳仲が加治木龍口坂に開窯。後に芳仲の養子となった山本碗右衛門がこれを継承、新たに龍門司に築窯。民窯として黒釉、青釉、三彩釉、鮫肌釉、飛び鉋など、多彩な釉技で酒器を主に、茶陶から日用品までを焼いた。

平佐系…1786年頃、串木野の北、川内市の川縁で開窯。肥前有田から陶工が招かれ、原料も天草から運んで赤絵や染付磁器を焼いた。特にべっ甲手とよばれる平佐三彩は異彩を放つ。

西餅田系…17世紀中頃、鹿児島県の東北・帖佐の宇部窯近くに有田の陶工らが招かれ、開窯。白と黒2つの蛇蝎釉やどんこ釉とよばれる数層に釉を厚くかけるのが特徴。


薩摩焼〜白もん・黒もん


薩摩焼は、白薩摩の「白もん」と黒薩摩の「黒もん」に大別されます。

白もんは、淡い象牙色の温かみのある器肌に、きめ細かな還流があり、その上に繊細な絵付けがされていることが特徴です。もっぱら薩摩藩の御用品としてつくられました。苗代川系の沈寿官窯や荒木陶窯、鹿児島市の磯お庭焼きなどが継承しています。


鉄分の多い土を使い、黒い釉をかけた黒もんは、重厚で素朴な日常雑器が主体です。カラカラ(徳利)などの酒器や土瓶、カップ類などが多くみられます。黒釉青流し、飴釉、三彩釉、蛇蝎釉などが特徴で、龍門司系の窯が得意としています。


薩摩焼は鹿児島の豊かな風土に育まれるとともに、陶工たちの弛まぬ努力によって独自の発展を遂げていきました。1867年には、島津藩が単独でパリ万博に出品し、その高い芸術性が絶賛を浴びたことをきっかけに多くの薩摩焼が海外に輸出されるようになり、「SATSUMA」の名を世界に轟かせました。現在も鹿児島県内全域に窯元が存在し、さまざまな技法を凝らした作品製造が続けられています。

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