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焼き物の産地〜近畿地方

2016/2/6

焼き物の産地〜近畿地方

 

日本の代表的な焼き物の産地〜今回は近畿地方の焼き物を紹介します。


京焼(京都府)


京焼は楽焼を除く、清水焼、八坂焼など京都の焼き物の総称で、桃山時代後期に三条通を東へと進んだ場所にある粟田口に築かれた窯に始まると考えられています。この時代は唐物や高麗物を真似た焼き物がつくられました。


京焼の代表的な陶工といえば、野々村仁清です。野々村仁清は俗名を清右衛門といいましたが、京都・仁和寺の門前で窯を開き、仁和寺の御用品を多く焼いたため、「仁清」の名を得たといいます。

野々村仁清は、洗練された造形と華麗な色絵技法の完成によって「初期京焼」に新たな風を吹き込みました。


野々村仁清と並んで京焼の巨匠といわれたのが尾形乾山です。京の呉服商の家に生まれ、兄の尾形光琳とともに若いうちから書や和漢の教養を身につけた尾形乾山は、27歳で仁和寺近くに隠棲し、ここで野々村仁清と出会い、作陶をはじめます。

尾形乾山は、透鉢、蓋物、猪口、皿などをつくりましたが、琳派の大胆で洗練された作風が江戸・元禄時代の町人に喜ばれました。


その後も奥田頴川が赤絵や染付の京焼磁器の焼成にはじめて成功し、さらに中国陶磁に独自の創意を加えた青木木米、京焼の和の伝統を追求した仁阿弥道八、赤絵や金襴手の名手・永楽保全・和全親子など、創意に満ちた名工らにより、京焼の秀作が続々と生み出されました。

近年も、富本憲吉、河井寛次郎など日本を代表する作家を輩出しています。

【京焼の著名な作家】野々村仁清、尾形乾山、奥田頴川、青木木米、仁阿弥道八、永楽保全・和全、富本憲吉、河井寛次郎、石黒宗麿など



信楽焼(滋賀県)


信楽焼は近江国甲賀郡信楽一帯で焼かれる無釉焼締の陶器で、日本六古窯(信楽・備前・丹波・越前・瀬戸・常滑)のひとつです。開窯は平安時代末期、聖武天皇が紫香楽宮の屋根瓦を焼かせたのがはじまりと伝わっています。鎌倉時代は、壷やすり鉢などの日用器がつくられました。


漉さず使う信楽焼の陶土は焼き締めると、赤い肌に土中の長石などが白く浮き出ます。

ざらざらした土肌に侘びの佇まいが漂う、飾らぬ美しさを持つ信楽焼は、室町時代後期から桃山時代にかけて、茶の湯の隆盛とともに、その侘びた趣が茶人に好まれ、人気を博しました。

茶道具としては鬼桶水指、蹲花入、旅枕花入などが知られます。現在は、食器・茶器・火鉢・植木鉢など広く焼かれています。

信楽焼の顔ともいえるタヌキの置物ですが、これは京都の焼き物作家・藤原銕造(号:狸庵)が昭和10年頃、信楽に転居して本格的にタヌキ像をつくりはじめてから、信楽の顔となったそうです。

【信楽焼の著名な作家】大谷無限、皆川仁史など



伊賀焼(三重県)


豪快なアシンメトリーな造形が茶人好みの伊賀焼ですが、天平時代に現在の三重県・阿山郡丸柱村にはじまったと伝わっています。伊賀焼は、無釉焼締めの陶器です。


伊賀焼は古くは信楽と同じ土を使っており「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」といわれるほど、古いものは信楽焼きとの見分けが難しいそうです。

伊賀焼ならではの特徴的な造形がみられるのは、安土桃山時代頃からで、一度成形した器にヘラ目をつけ、作為的にゆがみを加えたものや、ビードロ釉という緑色の自然釉と赤黒い焦げが生じた茶陶などが焼かれました。


割れ目やゆがみもそのまま愛でるほど、破格の美が魅力の伊賀焼は武将が使う茶道具に向いていました。

古田織部門下の筒井定次、藤堂家三代など、歴代の領主が茶陶製作を奨励しました。大名茶人の小堀遠州も、伊賀焼を好みました。伊賀焼の茶陶では花入の「からたち」「生爪」、水指の「破袋」などが有名です。江戸時代中期には、瀬戸の釉の技術を導入し、現在は焼締めや、土鍋などの日用器が多く焼かれています。

【伊賀焼の著名な作家】福森雅武など



※近畿地方のその他の焼き物には、三重県の万古焼などがあります。

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