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戦国武将の家紋 その3

2016/9/24

戦国武将の家紋 その3


その1その2に続き、歴史上有名な戦国武将の家紋をいくつか紹介していきます。


柴田勝家

その武勇伝から「鬼柴田」と呼ばれた武将。織田信長の筆頭家老を勤めた重鎮で、信長の妹・お市の方と結婚したが、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に破れ、お市の方と自害した。


丸に二つ雁金…群れをなして空を飛ぶ、渡り鳥”雁”の家紋が雁金である。 雁は群れで移動することから、結束や絆を意識して紋に利用されたと考えられている。

また、雁の独特の鳴き声は「よい知らせを運ぶ」とされ、縁起のよい鳥とされる。

通常の「二つ雁金」は二羽ともくちばしを閉じているが、柴田勝家の家紋では、上の雁金のみ、くちばしを開いているのが特徴。



井伊直政

徳川家康の天下獲りを支えた「徳川四天王」の一人。自ら組織した軍団「井伊の赤備え」は有名。戦国時代屈指の精鋭部隊としての評価も高い。

 ※赤備え(あかぞなえ):戦国時代の軍団編成の一種で、具足、旗差物などのあらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと。戦国武将・武田信玄が擁した戦国最強の騎馬軍団が有名。


丸に橘(彦根橋)…丸に橘は、橘紋に属する家紋である。橘はミカンの類で、五つの葉の立木で、中央に一果ある造形で、橘紋はその名の通り、橘氏の紋とされていますが、井伊家の祖は、「井戸の中より化人が手に橘を持って現れた」という話に由来する。



毛利元就

小規模な領主から中国地方のほぼ全域を手中に収めた武将。自らの死の間際に息子三人を呼び寄せ、教訓とした「三本の矢」の逸話が有名である。


一文字三つ星…毛利家は、鎌倉幕府草創の功臣・大江広元の四男季光に始まる。

大江家が祖とする平安時代の皇族・阿保親王は、平城天皇の第一皇子であったことから一品の位にあり一品親王と称された。 大江家はこの”一品”の文字を図案化して「一文字に三つ星」の紋を創出して用いた。

「一文字三つ星」紋は、毛利家のほか、寒河江家・長井家らがこぞって 家紋とし、各地に広まり、大江系諸家の代表紋となった。



石田三成

安土桃山時代の武将。元は近江で寺小姓をしていたが、羽柴(豊臣)秀吉にその才を見出され、配下となり、のちに豊臣政権が発足すると、五奉行の一人に抜擢される。関ヶ原の戦いにおける西軍側の主導者として知られている。


大一大万大吉…大一大万大吉という合わせ文字紋は、「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」という意味だとされている。 この「大一大万大吉」という紋を用いたのは、石田三成だけでなく、備後・山内家も使用していたとされる。



加藤清正

豊臣秀吉の家臣で「賤ヶ岳七本槍」の一人。朝鮮出兵の際に虎に噛み切られたという”片鎌槍”の使い手。関ケ原の戦いの功績により熊本藩主となる。


蛇の目…蛇の目に似ているため、蛇の目紋と呼ばれるシンプルな家紋。 古来、蛇の神秘的な姿や動きに聖なるものを感じた日本人がその神秘的な力にあやかろうと家紋にしたのではないかと考えられている。

また、この紋は元々、弦巻紋とも呼ばれていた。これは弓の弦を巻く籐製の輪の形から来ている。 加藤清正の烏帽子についていた蛇の目は有名ですが、 ほかにも桔梗紋や折墨と呼ばれる家紋も使っていた。



真田幸村

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。大阪冬の陣での活躍で、「日本一の兵(つわもの)」と称され、その名を天下に知らしめた。実名は真田源次郎信繁であったが、後に書かれた小説 「真田十勇士」を率いて戦う英雄として有名となり、「幸村」が定着した。


六文銭(六連銭)…穴あき銭を六枚並べたものが六文銭(六連銭)である。もともと、六文銭は三途の川の渡し賃である。そのことから、出陣する合戦において、決死の覚悟でのぞむことを意味すると伝えられる。 真田家が六文銭を旗印として用いたのは、武田家滅亡後の北条氏との一戦で勝利してからだと伝わる。

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