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戦国武将の家紋 その2

2016/9/23

戦国武将の家紋 その2


その1に続き、歴史上有名な戦国武将の家紋をいくつか紹介していきます。


伊達政宗

幼少期に天然痘を患い、右目を失明。独眼竜政宗として有名。文禄の役に従軍した際の戦装束が豪華絢爛であったため、「伊達」という言葉が生まれた。


竹に雀(仙台笹)… 伊達氏は戦国大名の中でも、最も家紋の数が多い家である。「竹に雀」は上杉氏に養子を入れようとしたときに拝領したもので、左右の雀は雌雄で形が違い、笹の形も左右で異なるといった特徴がある。

点は16あり、朝の露であることを示し、左右対称でないことは、世に同じものが2つとないことを表したもの。竹に雀のほか、豊臣秀吉から拝領した桐紋、竪三つ引両、九曜など、様々な家紋を使い分けた。



徳川家康

徳川幕府初代将軍。三方ケ原の戦いで武田軍に惨敗し、命からがら浜松城に逃げ帰った際に、戒めとして肖像画を描かせた。死後は自らを神格化し、東照大権現となる。


三つ葉葵…葵の葉を3つ描いた図案の家紋。水戸黄門の印籠など、時代劇で目にすることが多く、なじみ深い紋。 もともとは京都の上賀茂神社の神紋「二葉葵」が原形だとされている。徳川家康は、家紋の取扱いに厳格で、徳川家以外の使用を制限した。



上杉謙信

武田信玄と幾度も川中島で戦った、戦国時代の最強とされる武将の一人。武田方に塩を送ったことで「敵に塩を送る」という言葉が生まれた。


竹に飛び雀(上杉笹)…丸の内に雌雄二羽の雀が対い合っている紋。上杉家は藤原北家勧修寺流であり、「竹に飛び雀」紋は勧修寺流の代表紋でもあった。仙台の伊達氏も「竹に飛び雀」紋を用いているが、これは上杉氏から譲られたもの。上杉家の影響により、関東から北日本でよく使用されている。



前田利家

加賀百万石の礎を築いた豊臣五大老の一人。青年期は織田信長の小姓として仕え、派手な衣装を好んだため「かぶき者」と呼ばれていた。


剣梅鉢…埋めは古くから縁起がいいとされたことから、紋様として古くから用いられてきた。 加賀前田家は藤原道真の家系で、藤原道真の天満宮である梅紋を用いている。藤原道真の末流が、それぞれに梅紋を変化させて使用しているが、加賀前田家でも独自の「加賀梅鉢」を採用。

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