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作家紹介

三岸節子 みぎし せつこ

肩書きなど 本名は吉田節子
新制作協会会員、文化功労者、尾西市名誉市民、勲三等宝冠章
 紹介文 愛知県で生まれた洋画家です。
生家は大地主で、織物工場を営む裕福な家庭で育ちました。
父親は医者になる事を望んでいましたが、画家になることを打ち明けると「日本画なら」という条件を突きつけられました。
しかし、断固として耳を貸さず、洋画家への道を進みました。
19歳という若さで三岸好太郎と結婚し、3人の子供をもうけましが、好太郎の女性関係に悩む日々が続きました。
好太郎が病気亡くなると、絵描きとして色々な仕事を引き受けながら生計を立て、3人の子供を育てました。
その後、菅野啓介と別居結婚をしますが数年後に解消し、画家としての憧れの土地フランスへと渡ります。
画家としてやっと表舞台に立つことができ、様々な作品を残しています。
帰国してからも精力的に活動を続け、90歳を超えても100号の巨大なキャンバスに作品を描き残すなど亡くなるまで画家として生き続けました。
略歴

1905年 愛知県で生まれる
1921年 上京して岡田三郎助に師事する
1922年 女子美術学校に編入する
1924年 女子美術学校を卒業し、

      三岸好太郎と結婚する
1925年 春陽会第3回展初出品、初入選する
      婦人洋画協会結成に参加する
1932年 独立美術協会第2回展で入選する
1934年 三岸好太郎が亡くなる
1936年 七彩会を結成する
1939年 新制作派協会会員となる
1945年 個展を開催する
1947年 女流画家協会の創立発起人として参加する
1948年 菅野圭介と再婚する
1951年 芸能選奨文部大臣賞を受賞する
1953年 離婚する
1954年 渡仏する
1964年 神奈川県大磯に転居する
1967年 三岸好太郎の遺作を北海道に寄付する
1968年 渡仏し、カーニュに住む
1969年 女流美術家総合展「潮」結成に参加する
1986年 勲三等宝冠章を受章する
1988年 尾西市名誉市民となる
1989年 帰国して神奈川県大磯に定住する
1990年 朝日賞を受賞する
1991年 ワシントンで個展を開催する
1994年 文化功労者となる
1998年 三岸節子記念美術館が開館する
1999年 4月18日逝去

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