肩書きなど | 本名は清蔵 別号は阿吽洞玄々 日本美術院正会員 |
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紹介文 | 福島県で生まれた彫刻家です。 祖父、父ともに宮彫師として活躍しており、幼い頃から彫刻に親しんで育ちました。 しかし、職人としてではなく芸術家としての道を選び、山崎朝雲に弟子入りします。 フランスへ留学する機会を与えられ、ブールデルに師事し、技術と精神を学びました。 帰国して帝国美術院、芸術院会員となり活躍を見せますが、師・山崎朝雲と不和となり自ら破門を申し出て、号を阿吽洞玄々と変えて活動を始めました。 伝統的な技法と西洋の流線彫刻技法を交えて人物の表情に生命力を与え、独自の世界を持つ作品を多く制作していましたが、戦時中にアトリエが被害に遭い、ほとんどの作品を焼失してしまいました。 |
略歴 |
1888年 福島県で生まれる アトリエとする |