肩書きなど | 本名は寅之助 通称は真葛香山 帝室技芸院 |
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紹介文 | 京都府で生まれた陶芸家です。 陶工であった真葛宮川長造の息子として生まれ、家督は兄が継ぎましたが、早くに亡くなってしまったため兄の家族を引き取り19歳で襲名しました。 父は生前、朝廷用の茶器を制作し「香山」の称号を受けていたため、初代香山を名乗り、父がとくとしていた色絵陶器や磁器を制作していました。 その後、輸出向けの陶磁器を作る工房を構えるため横浜に向かいますが、当時の横浜の土地では良質の土が採れず、工房を開くにはかなり苦労します。 当時、流行していた薩摩焼を研究し、「真葛焼」と名付け輸出するようになるとMakuzu Kozanとして有名になります。 しかし、薩摩焼は金を使用するため製作費に多額の資金を必要とするため「高浮彫」という新しい技法を生み出しました。 これによってMakuzu Kozanの名声は更に高くなっていきますが、この高浮彫も精度が上がれば上がるほど、制作に日数を必要とするため制作効率の低さが問題化してしまいました。 それを解消しようと、清朝の陶器を元に釉薬の研究を重ね、新しい真葛焼が完成し、「マクズ・ウェア」として広まっていきました。 |
略歴 | 1842年 京都府で生まれる 1870年 輸出向けの陶磁器製造のため横浜に移る 1871年 真葛窯を築く 1876年 フィラデルフィアバンコク博覧会に出品する 1916年 逝去 |