
| 肩書きなど | 幼名は秀丸 |
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| 紹介文 | 大阪府で生まれた洋画家です。 光徳寺の次男として生まれ、中学生の時から赤松麟作に洋画を学んでいました。 父親は医者になる事を望んでいましたが、画家を志して上京し、川端画学校へ入学し、翌年は東京美術学校へ進学します。 卒業後は渡仏してヴラマンクに自身の作品を批判され、それを励みにパリの風景、街並みを重厚な筆致で描く独自の作風を確立しました。 また、鮮やかな色使いと踊るような繊細な描線で街角のポスターやカフェを描いており、管板などの文字を造形要素の一部として取り入れているのが特徴です。 しかし、病気のため30歳という若さで亡くなってしまいます。 6年足らずの画家生活の中で、たくさんの作品を残しました。 |
| 略歴 | 1898年 大阪府で生まれる 1912年 大阪府立北野中学校へ入学する 1915年 油絵を描き始める 赤松麟作に洋画を学ぶ 1917年 北野中学校を卒業し上京する 川端画学校、本郷洋画研究所で学ぶ 1918年 東京美術学校西洋画科予備科に入学する 1919年 川合玉堂に日本画を学ぶ 1920年 結婚する 1921年 アトリエ兼自宅を新築する 1923年 東京美術学校西洋画科を卒業する フランスへ渡る 1924年 ヴラマンクを訪問する 1925年 サロン・ドートンヌで入選する 1926年 一時的に帰国する 1927年 フランスへ渡る 第20回サロン・ドートンヌで入選する 1928年 8月16日逝去 |


